2020-08-11

8月11日(火)お休みの日の普通の話

世間はお盆休みの人が多いからか、車や家族連れの自転車が多いです。今日はちょっとしたパンの配達と仕込みがあったのでビルの英会話(smile)はお休みしたけれど、ビルがいたので、なんやかんやスピーキングしたのでラッキーです。顔は外人だけど、喋るとみんな同じやなーって思います。同じようなところで悩んでたり気を遣ったりして生きてるんだなーって。 その後お墓参りに行きました。父が今年の1月に亡くなったので、毎年のお墓参りが今年はより身近な感じでした。母が車にうっかり軽油を入れたらしく(←もう乗ってはいけない歳です)車を修理に出していることもあって、ご機嫌UPで実家に兄と母を迎えに行きました。 修理に20万円かかるらしいのですが、兄が「いろいろお金がかかるのが車を持つってことや。それもこれも含めてやから事故しなくてよかった。」って言いました。母が「一升枡やからな。散々ええ思いしたから、生きてるだけでもラッキーや。」って答えました。 じみじみ納得です。 天と地を味わいながら生きてきたからこその言葉。お金を尺に生きてはダメです。 お金的に得か損かより心は動くかどうかで人生が変わります。結局心が動くで判断した方がリッチになったりしますからね。父が好きだったお寿司を食べようということになって人生で3回目の回るお寿司に行きました。仕切り付きのカウンターに座ったものだから、何をどうやったらいいのかわからない。注文の仕方とか、お茶の入れ方とかを手ほどき受けて、緊張しながら食べいていたけれど、このシチュエーションで食欲が湧きませんでした。借りてきた猫状態(いや、猫はじっとしてないはず!)でした。 帰宅して、切り替えて昨日の続きのホームページに使える写真を探していたら、懐かしいやら、自分ながらよく頑張っていたね!って思ったりで、写真の整理(画面上ですが)で心が苦しくなりそうでした。 さっきの話じゃないけど「嬉しいことと悲しいことのギャップが辛い・・」と思いました。大波小波の人生ですね! 小波だけで生きようとする人生もあるのだろうけど、そうすると心の中に何かが欠落して行くのではないか?と思います。心の振り幅が大きいのはしんどいけど、どうせ生きているのなら味わおうじゃないか!って思います。 

昨日のセミの続きですが夜中に猫たちがウキウキしているなって思ったら今度はヤモリを加えて遊んでいました。猫のギーがヤモリをいたぶっているのをモモが応援するという・・さすがにお盆やしこれはあかんと(爬虫類は大丈夫なので)ティッシュで軽くつまんで窓から逃避させました。どうやってあの狭いベランダで見つけるのか不思議です。でも彼らは物心ついた時から家猫なのでスケールが小さくていいけど、先代猫のにゃーちゃんは野生時代があったのでおもちゃには見向きもせず。ネズミや、鳥や、なんと!鳩まで捕まえてきてました。みんな傷を負いつつも逃げていってくれたのでよかったです。その分、他の猫にやられたりして傷だらけになって帰ってきたこともしばしば。朝と夕方の散策は欠かせない日課でした。エキサイティングな猫生だった分短命だったけれど、幸せだったろうなって思います。猫ちゃんたちを見てなかなか深いな〜大波小波の人(猫)生だな〜って思いました。